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Eljudnir ~エルヴィドネル

徒然なるままに、日暮らし、PCに向かひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
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子供のいる女性が、会社内において働くことについて考えた。



まず結論から述べる。私の考えていることの要旨は次に挙げる通りであり、以下この根拠について書いていきたい。


  • 男女を全く同じに扱うことは出来ない
  • 社内の女性割合=管理職の女性割合にはならない
  • 育休は1年がちょうど良いが、選択肢が増えたら尚良い
  • 女性の昇進が男性に追いつけないのは仕方ない

男女を全く同じに扱うことは出来ない

以降、「差別」は悪意のある作為的なもの、「区別」は単純な扱いの違い、という意味で使用する。言葉の意味の捉え方としては本来、悪意が含有されない差別もあるだろうが、とりあえずそこについては考えない。


性別による違いは厳然としてある。人間には性別があるのだから、それはどうしようもない。どうしようもないので、男女を全く同じに扱うことは出来ない。それは差別ではなく区別である。極端なフェミニストの論調には、この区別を差別と捉えている場合があると思う。

本当にすべての区別を取っ払いたいなら、トイレは分けるべきではないし、スクール水着はすべてワンピース型にすべきだし、各種書類から性別を記入する欄を削除すべきだし、婚姻相手を異性のみとするべきではない。こんなこと言うとなんでそんな極論に走るの、と思われるかもしれないが、それらと同様に、身体的な差(男性の方が力が強い、とか)や性格の差(女の子の方がお人形遊びが好き、とか)は生じるのであって、それらの差に基づいた区別を「差別」と呼ぶべきではないと思う。今現在区別されていることは、視覚的に分かりやすい箇所であり、今「男女差別だ」と言われていることは、内面の問題などヴィジュアルに訴えない違いを指しているのではないか、と考えている。


しかし今しがた述べたことを翻すのだが、性差よりも個人差の方が大きいのではないかと私は思っている。極端な話をすると、吉田沙保里と一般男性が取っ組み合っても勝てやしない。

つまり、性差で論じるのではなく、個人差で論じればいい話である。雄々しい女も女々しい男もいるんだし、男が!女が!という分かりやすいラベルではなく各個人の内面から判断すべきである。

とはいえしかし、ラベルが分かりやすいのは全面的に同意する。私も初対面の人の内面を瞬時に把握する自信なんてまったくない。というか、「瞬時に」把握するなんて誰にも不可能であろう。誰かと初めて対面した時、男に見えるか女に見えるかによって、第一印象にバイアスをかける。そういう意味で、自分のファッションや身だしなみをコーディネートすることは、自分をどう見て欲しいのかという「ラベル貼り」を自分でコントロールすることだと思う。

性差から分かるのは傾向であって、各個人に焦点を当てた時の属性を計れるということではない。これを頭に置いておかなければいけないのだと考えている。


社内の女性割合=管理職の女性割合にはならない

何故か。性差には、性格傾向の偏りも生じると思うからである。

管理職に登用するには、マネジメントの適正(周囲から見た資質)とキャリア志向(本人の希望)の双方が不可欠である。例えば「社長になりたいですか?」というアンケートをしたとき、Yesと答える割合の男女別結果には有意な差が表れるだろう、と私は思っている(データで示せなくてすみません)。管理職には向き不向きがあり、向いている女性ばかりではない。もちろん、男性だって向いていない人もいる。であるから、もし管理職の割合の話をするなら、適正・志向を総合的に見たとき、「管理職に向いている」男女比率と一致すべきである、ということなら納得できる。ただ現実には、性格分類からどのように管理職に向いていると判断するのかとか、それを会社が把握できるのかという問題があるので、たぶん難しい。

ということで、適正・志向を無視して「我が社には女性が○%いるから、管理職も同程度いなければならない」と思い込んで無理に管理職にしたところで、双方不幸になるだけだと思う。

あと、管理職でない社員だっていなきゃ会社は回らないわけで、例えば総務は開発部署が快適に業務に集中できるよう色々な面倒くさいことを引き受けてくれているわけで、そのような職能を軽視してはいけないことは当然だと思う。管理職でなくても何か秀でていれば、管理職同等に給与が上がっていくようなシステムが考案できればいいのだろう。開発部署におけるマネジメント or 技術系のキャリアパスと同じように、経理キャリア・事務キャリア等。


と、言っておいてまた話を翻すのであるが、女性の就業率がもう少し進んだ場合のそこそこ程度の規模の企業においては「社内の女性割合<管理職の女性割合」になるかもしれないと思っている。専業主婦になる道もまだ残されている現在において、それでも仕事を頑張っていこうとする女性はマネジメントスキルもキャリア志向も強いと思うからだ。

これは私が、自社のリクルート活動のため出身大学の就職相談室に赴いた時に聞いた話なのだが、「女の子は自分でどんどん就職活動進めちゃうのでアドバイスすることはほとんどない、一方男子学生は頼りない」みたいなことを言っていた。私は女の子パーセンテージが一桁の理系大学出身なのだが、これは昨今の男子全般が頼りなくなったのではなくて、敢えて理系大学に進んでくる女子は意欲的、ということなのではないかと思う。ただ、女性全体の就職率が向上すれば、もちろんキャリア志向ばかりの女性ではなくなるので、割合も落ち着いていくのでは、と想像する。


※2016/10/31追記:「性差による性格傾向の偏り」と書いたが、そもそも性別への役割決めが社会全体によって幼いころから為されているわけで、純粋な性差ではない。と思い直した。なのでこの項はちょっと違う気がしてきたけども、現代日本で生まれ育った女性に関してはこうなってるんじゃないかと思うのは変わらない。最終的にはそこも撤廃できれば、よりよいのだと思う。

育休は1年がちょうど良いが、選択肢が増えたら尚良い

育児休暇の1年というのは、よく出来た数字だと思う。何故なら、赤ちゃんが離乳食からほぼすべての栄養を摂取できるようになる月齢だからだ。

厳密に言えば10ヶ月位でもいいかもしれない。その頃には授乳は夜だけ、ということも多い。この辺りは赤ちゃんの個人差も大きいし、私も専門家でないので断言できないが、概ね1歳~1歳3ヶ月頃が「離乳完了期」とされている。

以上のような理由で考えた場合、生後1年は女性が育休を取るのが良いと思っている。ただ、母乳神話を提唱したいわけではないし、もちろん母乳があまり出ないお母さんもいるのだから、そうすべきという話ではない。また、以上のような理由を考えているので、育休3年になったとしても、夫婦で相談して半分は父親が取得するなどの選択肢があると良いと思う。

言いたいのは、例えば女性ももっと活躍すべき!で育休3ヶ月が推奨されるようになったら、それ以上働かない人への偏見が生じる。あるいは、子供を大事にすべき!で育休3年が推奨されるようになったら、1年で復帰しようとする人への偏見が生じる。そういうことではなくて、個々人が何を優先させるかということ、それもゼロかイチではなくて、人生において有限である「時間」というリソースをどこにどの程度使うか、そのトレードオフを気兼ねなく選択できるようになったらいいな、ということである。


女性の昇進が男性に追いつけないのは仕方ない

産前産後休暇があるからです。子供を持とうとする女性は絶対に、ここでシームレスに働けない時期が来る。

育児休暇や短時間勤務は、まだなんとかする手段がある。(夫婦でその選択をするなら、という前提で)育児休暇は父親が取ればよいし、短時間勤務はその時間内で業務が終わるように努力すればよい。しかし、産前産後の時期は、そこで仕事に関わる時間が断絶する。それまで行っていた業務を引き継がなければならない。すると、その最低3ヶ月の休暇を前にして余計な作業が発生するわけで、それを雇用側が敬遠して女性に仕事を任せたくない、と思ったとしても私はそこに憤りは感じず、むしろ納得する。体力の少ない会社ほどそうなるだろう。

だからこそ、2回の産休・育休を挟んでもまだ仕事をさせてくれる現雇用主に対し私は感謝している。こういう考え方が古かろうが、現実的にはそうなんでないかな、と思う。


しかし、またしても話を翻すのであるが、私は産休・育休によってキャリアが阻害されているとは思っていない。もちろん2回に及ぶ業務断絶は引継も大変だったし、会社に迷惑をかけたと思っている。であるが、これは自社の人間に面と向かって言うつもりはないけど、現在の私のポストは周りの同年代と比べたら上だ。先輩社員だけどもまだ平の人とかたくさんいる。つまりは適正と努力の話であって、例え引継をしなければならなくなったとしても不備が生じないように骨を折ること、業務が滞りなく遂行できるように気を配ることを行っていれば、おのずと評価も付いてくるのでは、と思う。

ただもちろん、全く同程度の能力の男性がいたら、その人には追い付けないだろう。これは病気で1年休職×2をやっても同じように昇進できるか、という話で、そんなの無理だと思う。


ただ一度、仕事に関して「子供がいる」ことを理由に絶望したことがある。

子供の保育園お迎えがあるので、私は6時間働いたら帰らなければいけなかった。仕事がスケジュール通りに進んでいるときはそれでいいのだが、いわゆるデスマーチ状態になるとそうもいかない。極力、私にしか出来ないことに絞って作業し、他は周りの人に振るのだが、正直それだと「この時間内で出来るはずの私の目標」には到達できなかった。具体例を挙げると、UIのちょっとした使い勝手が悪い、Gitのcommit粒度が下がる、単体テストしてくれない、ある機能が実装できないと言われる(本当は出来る)。そんなのは普段から統制を取っておくべきだし、限られた時間内に出来る仕事と割り切ってしまうべきであるし、私の考え方に問題があるのも分かるのだけど、それでも、そんな品質の成果物を私の名前で提出するのは非常に不本意だった。

そんなことを繰り返していた時、ふと気付いた。これは今、短時間勤務だから生じている問題じゃない。子供が大きくなるまで、それこそ社会人になるまで、親は夜には家にいなければならない。自由に残業できない。何度も言うが、残業前提なのはおかしいのは分かっているのだけども、非常時に納得の行く仕事を完遂するだけのリソースを自分は持っていない。ということに思い至って、「そうか、仕事にこだわりや誇りを持ってはいけないんだ」という結論になった。これは絶望だった。

ゆえに、女性ばかりが子育てに従事するのは、共働きであるなら特におかしいと思う。そもそも夫婦の子供なのだから、例え母親が専業主婦であっても2人で育てるべきであるのだけど、現代においてもまだ子供がいる男性には「奥さんがいるんでしょ」という見られ方が強くあると感じる。せめて非常時だけとか、週1回とかでもいいから、父親がお迎えに行くなどのサポートがあると女性も思うように働けるだろう。それは、(私個人の話ではあるが、)昇進やキャリアを目指したいというわけではなく、きっちり業務をこなしたい、というだけの希望である。



というわけで延々と書いたが、つまるところ「適材適所」ということしか言ってない。男女は関係ない。適材適所。そこに、男女間での割合のブレはあると思うし、ブレが生じるのは生物的に自然なことであると思う。

以上です。

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